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クリスチャンディオール

特徴

発祥地はパリです。デザイナー名が、そのままブランド名となっています。現在会社自体は、フランスを本拠地とする複合企業、LVMHに属します。

クリスチャンディオールの発表した女性向けドレスの特徴は、贅沢、華やかであり、そのデザインは斬新で、当時「ニュールック」と名付けられ、ファッション業界に衝撃を与えました。

それまでのファッションは、短く、いかり肩の物が中心でしたが、彼の発表した物は、今までにはない、ペチコートで膨らませた曲線を強調した、ゆっくり、なで肩に、細く絞ったウエスト、くるぶしまである優美なロングスカートというスタイルで、衝撃を与えました。

クリスチャンディオールは、Yライン、Hライン、ロングドレス、Aライン、チューリップラインなどのシルエットが印象的なデザインを次々と発表し、ファッション界の歴史に新しい時代を刻みました。流行の神様とも、呼ばれました。今述べたように、シーズンごとにラインに名をつけて発表している現代の様式は、ディオールがはじめたことで、これはマスコミにも受け入れやすく、また一般の人達にもわかりやすくするためです。

そして、戦後ファッションに指針を掲示し、1947年から57年までの11年間、パリのオートクチュール界の頂点に君臨しました。彼は毎シーズン、ラインというテーマに沿って作品を発表した。

彼のスタイルは今も引き継がれて、1997年、ブランドデザイナーはジョン・ガリアーノが務めています。

ジョン・ガリアーノは、ディオールの上品で繊細な女らしさを残し、フェミニンでドラマティックな新しいディオールを誕生させました。このようにディオールの歴史は浅くとも奥深く、今は有名ブランドのひとつになりました。

また、ジャンフランコ・フェレ、ジョン・ガリアーノの活躍もあり、モダン、トレンドセッターとしての地位を確立しています。

 

略歴

1905

フランスのノルマンディーで、裕福な実業家の家に生まれる。

 

1928

政治学院に在学中、当時台頭していたシュールレアリスムに魅せられ、友人と画廊を開設。

 

1930年代

恐慌に見舞われ失職。この時、友人からデッサンを習う。

 

1938

ロゲール・ピゲに見込まれ、モード界に入る(後に、ルシアン・ルロンのメゾンへ移る)。

 

1946

コットン王と呼ばれていた、マルセル・ブサックと出会う。

そして1240歳の時、ブサックの支援を受け、パリのモンテーニュ通りに、クリスチャン・ディオール・オートクチュール・メゾンが誕生。ちなみに香水、毛皮などの分野にも進出し、当時の女性のスタイルを一変させるほどの衝撃的なブームを巻き起こす。

 

19472

パリにおいて、初のコレクション「8ライン(コロール(花冠)ライン)」を発表。このスタイルの特徴は、ペチコートで膨らませた曲線を強調したゆったりなだらかな肩に細く絞ったウエスト、くるぶしまであるロングスカートという優美なスタイル。これをハーバース・バザール誌の編集長カーメル・スノウが「ニュー・ルック」と呼び、この名前が広まり、世界のモード界に新しい風を吹き込む。

 

1948

ジグザグライン提案。

また、アメリカにおいてライセンス生産を開始。アメリカに「クリスチャン・ディオール・ニューヨーク」という別会社を作り、そこがニューヨークの靴下会社プレスティージ社と契約し「クリスチャン・ディオール」ブランドのナイロンストッキングの製造を許可した。これが、ブランドによるライセンス生産のはしりといわれている。後にライセンスはネクタイ、下着、ソックス、アクセサリーと拡大し、80年代後半にはディオールは200を越すライセンスを抱えていた。また、同時にこの方式を婦人服にも応用しオートクチュールだけでなく、アメリカの既製服業者と組んで、ディオールのデザインによるドレスを高級既製服、プレタポルテとしてアメリカでの製造・販売を開始した。オートクチュールからプレタポルテへと拡大することで、ディオールはファッションを芸術だけでなくビジネスとしても成功させたのである。

 

1950

パーティカルライン提案。

 

1951

オーバルライン提案。

 

1952

シニュアスライン提案。

 

1953

チューリップライン提案。

 

1954

Hライン提案。

 

1955

Aライン、Yライン提案。

83日、ソルボンヌ大学大講堂でデザイナーとして初の講演を行う。ここで、ディオールは自らの仕事を「伝統を新しさの中に生かすこと」と語る。

 

1956

アローライン提案。

 

19571024

イタリアに旅行中、心臓麻痺により52歳で急逝。イブサンローランが21歳の若さで、主任デザイナーに抜擢。「トラベラーズ(台形)ライン」を発表。

 

1960

イブサンローランが兵役。そのため、主任デザイナーにマルク・ボアンが就任(~89年)。

 

1961

スリムルック発表。

 

1967

サファリルック発表。

 

1968

パルファン・クリスチャン・ディオールがモエ・へネシー社(現・LVMH)に買収される。

 

1970

マキシルック発表。

 

1978

親会社のマルセル・ブサック・グループが倒産するが、流通大手のウィロ兄弟によって救済され、アガッシュ=ウィログループに入る。

経営危機を迎え、一時親会社のブサック・サンフレール社が国有化される状態に陥ったのは、70年代である

 

1984

ベルナール・アルノーが経営を引き継ぎ、フランスの投資銀行「ラザール・フレール」と組んでマルセル・ブサック・グループを買収する。そして、ブランドを再興させる。

 

1989

ジャンフランコ・フェレが、主任デザイナーに就任。

 

1990

ベルナール・アルノーが買収によって「LVMH」の社長に就任する。

 

1996

ジョン・ガリアーノがデザイナーに就任。

 

2000

メンズライン「ディオール・オム」は、エディ・スリマンにより立ち上げ。メンズファッションとしても影響力を発揮。

 

2007

メゾン設立60周年を記念して、ディオールとガリアーノにフォーカスした展覧会「Two Decades of Creation~モードを変えた二人の奇才~」が開催。この年は記念イベントが各国で開催された。

また同年、ディオールオムの新デザイナーに、クリス・ヴァン・アッシュが就任した。